法医学とは
医学(そして医療も)自然科学であると同時に社会的行為に他ならず、あらゆる医行為において医と法の接点が生まれてくる。法医学は社会医学また応用医学として、このような医学と法学の学際領域での問題を取り扱う。
(英語:legal medicine、forensic medicine、ドイツ語:Rechtsmedizin、gerichtliche Medizin、フランス語:medicine legale)
以下、著名な法医学者の定義を列記する。
片山國嘉 教授
(1888年、日本人で始めて東京大学医学部に裁判医学講座を創設された、本邦法医学の開拓者)
「法医学とは、医学および自然科学を基礎として法律上の問題を研究し、また之を鑑定するところの医学科なり。」
古畑種基 教授
(当教室初代教授)
「法医学とは法律上の問題となる医学的事項を考究し、これに解決を与える医学である。」(1948年)
何川 凉 教授
(1977年刊、日本医事新報社『法医学』より)
「法医学とは、医学を基本にし、他の自然科学を補助として、法律上の問題となる事項を研究し、これを実際に応用する学問である。」
永野耐造 教授
(1983年刊、金原出版『現代の法医学』より)
「法医学は医と法の無数の接点において、基本的人権を守り、社会正義擁護につながる学問体系として確立した実践的医学ということができる。」
教授挨拶
異状死の大半は病死です。なかでも内因性急死の死後診察は経験のある医師でも困難な場合があります。内因性急死の三分の二は心臓・大血管及び頭蓋内出血によって占められますが,当研究分野では,そのいずれにも関わる「血管壁組織脆弱性」をキーワードに,具体的には形態観察及び酵素活性測定を土台とした,ゼラチナーゼ(A及びB:MMP-2/MMP-9)解析を軸にした研究を進めています。法医解剖や臨床法医学の実践は,生化学的検査結果と合わせ,生死を問わず各々の法医鑑定に寄与します。社会医学に属する研究分野の中で,この個別事例(症例)への貢献こそが,法医学を異色の存在たらしめます。研究に興味を持ちつつ個人医学と社会医学とのバランスを考えている若い方々には,お勧めの場所ではないでしょうか。
沿革
教室の沿革
当初、「裁判医学」といわれていたが、明治26年、第四高等中学校の終り近くに「法医学」という呼称が用いられるようになった。第四高等学校医学部(明治27年発足)、及び金沢医学専門学校(明治34年発足)の間、専任教授はいなかったが、大正12年3月の旧制金沢医科大学発足に伴い、同13年3月31日、欧米留学から帰朝した古畑種基が初代の専任教授として就任した。古畑教授により真の意味で法医学教室の創設が行われ、北陸地方の司法解剖、血液型や指紋・足紋等の人類遺伝学的研究が行われた。昭和14年2月、古畑教授の転任に伴い、井上剛教授が第二代教授に就いた。井上教授は北陸三県の司法解剖を一手に行うとともに、窒息死体血の流動性化機序についての研究や、交通事故の法医学的問題について先駆的研究を行った。また、昭和42年4月から2年間、医学部長として学部運営に貢献した。井上教授の退官後、昭和46年8月に鳥取大学の何川凉教授が第三代教授として着任した。何川教授時代には急性心臓死に関する組織化学的研究、死ろうに関する研究、並びにガスクロマトグラフィーを用いたアルコールや有機薬毒物に関する研究が行われた。昭和54年3月大学院を修了した橋本良明博士(昭和51年卒)は、平成3年1月高知医科大学(現、高知大学医学部)教授に就任した。何川教授の転出後、昭和54年4月に永野耐造教授が着任し、高度焼損死体に関する研究を進展させ、血液型抗原物質の細胞内局在や熱抵抗性について学会をリードする成果を発表した。特筆すべきは、平成2年10月、高円宮憲仁親王殿下のご台臨の下、第1回国際法医学シンポジウムを開催して国際交流の実をあげた。永野教授の科学警察研究所長就任後、平成5年12月に大島助教授が教授に昇任し、法医解剖の質の向上に寄与すべく、法医病理・法医遺伝・法医中毒の三本柱を軸に、実践的研究を行っている。特に、損傷の生活反応や治癒機転におけるDNA及びmRNAの動態解析、微量生物学的資料についての人獣鑑別や血液型判定、生体由来試料やホルマリン固定臓器からの薬毒物スクリーニングなどの研究が国際的に高い評価を受けている。
歴代教授の略歴と在任中の業績
初代教授 古畑 種基
(在職 大正13年3月〜昭和14年1月)
教授略歴
明治24年6月 | 三重県に生まれる |
大正5年3月 | 東京帝国大学医学部卒業 |
大正13年3月 | 旧制金沢医科大学教授 |
昭和11年3月 | 東京帝国大学医学部教授 (昭和14年1月まで旧制金沢医科大学教授併任) |
昭和27年4月 | 東京医科歯科大学医学部教授 |
昭和32年4月 | 科学警察研究所長 |
昭和50年5月 | 逝去 |
在職中の主要な主催学会
昭和10年4月 | 第20次日本法医学会総会 |
研究内容
- ABO式血液型の遺伝様式に関する研究
- Q式血液型の発見
- 唾液中の血液型物質の分泌・非分泌に関する研究
- 指紋・足紋に関する人類学的研究と応用(指紋係数の定義)
研究成果
ABO式血液型はA、B、Oの複対立遺伝子によって遺伝し、AやB遺伝子はO遺伝子に対して優性であるとする「古畑・市田・岸の三複対立遺伝子説」を提唱した。ウナギ血清中にヒトのO型血球と強く反応する凝集素を発見した。また、ブタ血清中に新しい凝集素があることを示し、この凝集素に対する反応の有無で、ヒト赤血球をQとqに分けた(Q式血液型)。さらに、血液型特異的沈降素に基づく沈降反応を利用して、唾液中に血液型を分泌する群(分泌型)と、分泌しない群(非分泌型)に分けられることを実証した。なお、今村昌一博士(昭和9年本学卒、日本遺伝学会賞受賞者)や井関尚栄博士(昭和9年本学卒、群馬大学医学部法医学教授、科学警察研究所長;昭和31年と44年の日本学士院賞受賞者)は、古畑教授在職中にその指導を受けられたものである。
代表的な著書
『簡明法医学』 (単著)、『法医学入門』(単著)、『犯罪学雑誌』の創刊と発刊 (昭和3年〜昭和16年、以降、日本法医学雑誌に合併された)
受賞歴
昭和18年 | 帝国学士院恩賜賞 |
昭和20年 | 野間学術賞 |
昭和22年5月 | 日本学士院会員 |
昭和31年 | 文化勲章 |
第二代教授 井上 剛
(在職 昭和14年2月〜昭和46年3月)
教授略歴
明治39年2月 | 京都府に生まれる |
昭和5年3月 | 旧制金沢医科大学卒業 |
昭和11年5月 | 旧制金沢医科大学助教授 |
昭和14年2月 | 旧制金沢医科大学教授 |
昭和42年4月〜44年3月 | 金沢大学医学部長 |
昭和46年3月 | 金沢大学名誉教授 |
昭和62年6月 | 逝去 |
在職中の主要な主催学会
昭和36年4月 | 第45次日本法医学会総会 |
昭和43年6月 | 日本交通科学協議会総会 |
研究内容
- 窒息死体血の流動性化に関する研究
- 交通事故の法医学的研究
- 水晶体や歯牙組織中の金属成分
- 脂肪組織の死後変化に基づく死後経過時間の判定
研究成果
窒息死体の血液の流動性に関して、生化学的観点から検討を行った。また、フィブリン平板法を用いた爪の証明法を考案した。さらに、多数の交通事故事例の鑑定を実施し、医学的及び解剖学的所見と事故の態様の、合致点や矛盾点を明らかにすることの重要性をいち早く示した。
代表的な著書
『新法医学(前編)』(単著)、『鑑定入門』(単著)、『法医・鑑識並びに社会医学雑誌』の編集発行
受賞歴
昭和46年11月 | 北国文化賞 |
第三代教授 何川 凉
(在職 昭和46年8月〜昭和54年3月)
教授略歴
大正13年12月 | 熊本県に生まれる |
昭和23年3月 | 京都大学医学部卒業 |
昭和37年2月 | 鳥取大学医学部教授 |
昭和46年8月 | 金沢大学医学部教授 |
昭和48年4月 | 金沢大学医学図書館長 |
昭和53年6月 | 岡山大学医学部教授 (昭和54年3まで金沢大学教授併任) |
平成2年4月 | 岡山大学名誉教授 |
平成10年9月 | 逝去 |
在職中の主要な主催学会
昭和47年10月 | 第7回日本アルコール医学会総会 |
研究内容
- 急性心臓死に関する酵素組織化学的研究
- 死ろうの成分と生成に関する研究
- アルコールに関する法医中毒学的研究
- 農薬及び有機薬毒物に関する研究
研究成果
死ろう中のオキシ酸について、10-ハイドロオキシ酸と構造決定した。アルコールの死後産生について動物実験を行い、体内でアルコールを産生する腐敗菌を調べ、温度や時間の条件によっては、非飲酒者の死体内に、酩酊者と誤る程度のアルコールが死後産生されることを示した。また、出血死体ではアルコール濃度が殆ど変化しないこと、さらに血腫中のアルコールの意義についても明らかにした。
代表的な著書
『法医学』 (単著)
受賞歴
日本ワックスマン財団、鳥取大学、千代田生命(昭和44年)、日本医師会(昭和44年)、及び山陽新聞社より各学術賞
第四代教授 永野 耐造
(在職 昭和54年4月〜平成5年3月)
教授略歴
昭和6年2月 | 高知県に生まれる |
昭和30年3月 | 和歌山県立医科大学卒業 |
昭和41年7月 | 和歌山県立医科大学教授 |
昭和54年4月 | 金沢大学医学部教授 |
平成3年10月 | 医学部長代理 |
平成5年4月 | 警察庁科学警察研究所長、金沢大学名誉教授 |
平成11年3月 | 警察庁科学警察研究所長退官 |
在職中の主要な主催学会
平成2年10月 | 第1回国際法医学シンポジウム(ISALM) |
平成4年4月 | 第76次日本法医学会総会 |
研究内容
- 高度焼損死体に関する法医診断学的研究
- 血液型物質の熱抵抗性に関する法医血清学的研究
- 血液型抗原の細胞内局在に関する組織・細胞学的研究
- 犯法的薬毒物の迅速スクリーニングに関する研究
研究成果
ABO式やMN式等の基本的な血液型活性が高温でも安定であることを明らかにし、これにより、高度焼損死体についても個人識別が可能であることを示した。血液型活性が、細胞内ゴルジ装置及び小胞体、分泌顆粒、細胞表層の絨毛等に局在していることを免疫組織化学的に明らかにした。法医学実務において、Toxi-Lab®、トライエージ及びパルスヒーティング法による薬毒物スクリーニンングの有用性を実証した。また、「徳島ラジオ商殺し再審事件」の血痕鑑定や「山中事件」の再審における頭蓋骨骨折鑑定などの重要刑事事件の鑑定を委嘱された。
代表的な著書
『現代の法医学 』(編著者)、「Burned Bodies — From the Aspects of Medico-legal Investigation」(金原一郎記念医学医療振興財団研究出版助成)
受賞歴
平成2年7月 | 石川県警察本部長より感謝状 |
平成2年10月 | International Association of Forensic Science(IAFS)より表彰 |
平成4年7月 | 中部管区警察局長より感謝状 |
平成15年 | 叙勲 |
第五代教授 大島 徹
(在職 平成5年12月〜平成26年5月)
教授略歴
昭和31年6月 | 富山県に生まれる |
昭和56年3月 | 金沢大学医学部卒業 |
昭和61年3月 | 金沢大学大学院医学研究科修了 |
平成2年11月 | 金沢大学医学部助教授 |
平成5年12月 | 金沢大学医学部教授 |
平成20年4月 | 金沢大学医薬保健研究域医学系教授 |
平成26年5月 | 退職 |
在職中の主要な主催学会
平成7年11月 | 第17回日本法医学会中部地方会 |
平成20年10月 | 第30回日本法医学会中部地方会 |
研究内容
- 微視的・系統的損傷検査に関する法医学的研究
- DNA及びmRNAを指標とする損傷局所の生活反応に関する研究
- 微量生物試料からの人獣鑑別及び血液型判定
- 生体由来の試料からの迅速薬毒物スクリーニング
- 肺組織に出現する単球系細胞の免疫組織化学的解析
研究成果
損傷の微視的系統的観察、特に手術用実体顕微鏡を用いた観察は、微細な損傷の鑑別や成傷器の推定に有効である事を示した。また、損傷の治癒過程において、損傷局所で観察される生理活性物質のうち、特にインターロイキン—1αは受傷後早期(1日未満)の経過時間の判定に有用であること、collagenやfibronectin等の細胞外マトリックスは受傷後3日以降の指標となることを明らかにした。さらにPCR法を応用し、微量生物試料から血液型(遺伝子型)判定や人獣鑑別を行いうる事を示し、特にタクラマカン砂漠で発見された約千数百年前の中国・唐代のミイラ試料に応用し、人類遺伝学的新知見を得た。その他、生体試料やホルマリン固定臓器から微量の覚醒剤、向精神薬、及び睡眠剤等の薬物の検出に成功した。
著書
『エッセンシャル法医学』、『現代の法医学』、『事例による死亡診断書・死体検案書記載の手引き』、『臨床と血液型 』(以上、分担執筆)
受賞歴等
平成4年4月 | 日本法医学会学術奨励賞 |
平成7年12月 | 日本犯罪学会学術奨励賞 |
平成10年8月 | 石川県警察本部長より感謝状 |
平成11年11月 | 日本医師会医学研究助成を受賞 |
第六代教授 塚 正彦
(在職 平成27年2月〜現在)
教授略歴
昭和38年11月 | 石川県に生まれる |
平成7年3月 | 金沢大学大学院医学研究科修了 |
平成7年4月 | 金沢大学医学部助手 |
平成14年8月 | 米国スクリプス研究所博士研究員 |
平成18年9月 | 金沢大学医薬保健研究域医学系助手 |
平成19年3月 | 金沢大学医薬保健研究域医学系講師 |
平成27年2月 | 金沢大学医薬保健研究域医学系教授 |
研究内容
- 法医解剖と種々の検査を通じて,犯罪や予期せぬ急死例など,いわゆる異状死体の死因に関して,客観的かつ詳細な検討を行っている
- 血管内膜の粥状硬化,及び脳脊髄液の生化学的変化について,「血管壁組織脆弱性」をキーワードにその機序を実験的に検討し,実際の法医学鑑定への応用を試みている
- 刑事事件例や医療事故例などの,係争事案に対する法医学鑑定を実施している
- 外傷サーベイランスに資する,皮下血腫の定量評価の研究を進めている